さくらのシングル子育て

子供達が小学生の時に離婚して、何とか3人の息子達を社会人になるまで育ててきました。これまで色々ありましたが、ここまで一人で何とかやって来れたのは、周りの人や3人の息子達に助けてもらったおかげだと感謝してます(*^^*)そんなこんなをブログで綴っていけたらと思います♪

3兄弟編⑧長男の留年

前回の続き。


大学を中退するという長男。

私はどうしても卒業させたかった。

しかし長男は、母子家庭である我が家に、これ以上家計の負担をかけたくない。


どういう風に言ったら続けてくれるだろう。説得して続ける事になっても、現実家計は厳しい。でも、どう考えても中退は避けたいから、何とか説得しなければ。


私は長男に、冷静に説得しようと試みた。本当に中退したいのか。今すぐ働きたいのか。まずは長男の気持ちをさぐった。長男としても、中退したい訳じゃない。でも家計の事を考えるとそれが最善だと思う。次男も大学に入ったばかり。長男として、少しでも早く働いて家計の負担を減らしたい。長男の言う事は最もだった。


でも、私としてはやはり大学を卒業させたい。途中で投げ出したら、この先社会人になっても、途中で投げ出すかもしれない。それに何より大学中退という事は、高校卒業が最終学歴になる。就活をしても、中退の事は必ず聞かれるはず。企業側としても、大学を中退したという事は、仕事も続かないのではと思われても仕方ない。


私は冷静に説得しているつもりだったが、長男と話しているうちに涙が出て来て、今まで話さなかった私の思いもぶちまけてしまった。離婚した事によって、息子達に苦労をかけてきた事。離婚した事に対して、私を責める事もなく、愚痴一つ言わず成長してくれた事。自分のやりたい事を見つけて大学進学を決めてくれて、何より嬉しかった事。その夢は叶わなかったけど、とにかく卒業だけはして欲しいと、初めて私の思いを長男にぶつけました。


長男も一緒に泣き、自分でも悔しい。できる事なら留年してでも卒業したい。今までお母さんが愚痴一つ言わず、一生懸命働いて自分達を育ててくれた事に感謝している。これ以上苦労はかけたくない。でもこれからも迷惑かけると思うけど、自分達も協力するから、お母さんも辛いときは辛いって言って欲しい。少しは自分達にも頼って欲しいと言いました。


今まで、母子家庭で無我夢中でやってきたけど、お互いどこかで自分の思いを胸にしまって、わがままを言わなくなってしまったのかもしれません。


そこで、ようやく長男は留年して、大学はちゃんと卒業すると約束してくれました。


つづく。

3兄弟編⑦長男の挫折

前回のつづき。


長男が学校の先生にはならないと言ったのは、大学4年生の夏でした。


本来なら、夏に教員採用試験が行われ、それを受けるとばっかり思っていた私は、突然の事に驚きました。


明日が教員採用試験という日に、長男が突然帰って来たのです。明日試験じゃないの?何で帰って来たの?と聞く私に長男は、教員採用試験は受けない事にした、というのです。


私「何で?」


長男「教員になるのは辞めた。」


私「え、何で?いつから考えてたの?」


謎がいっぱいの私に、長男は更に驚く事を言ったのです。


長男「大学も辞めようと思ってる。」


私「待って待って、何でそうなるの?今4年生 だよね?あとちょっとじゃん。」


私は更に頭が混乱して、長男に詰め寄りました。そこで発覚したのが、来年の春卒業出来そうにないという事。


そこで、冷静になって一つずつ、じっくり聞く事にしました。


長男の言い分は、まず大学で教員になるつもりで勉強していたが、3年生の頃から何か違うと感じていた。教育実習とかで、教壇に立つと生徒より一段上にいる自分に違和感を覚えた。先生と生徒という立場上、仕方のない事だけど、そこで自分は本当に教壇に立って教えるという事がしたいのか、と疑問に思った。


自分が中学、高校、大学と過去を振り返った時に、自分に真剣に向き合ってなかった事に気が付いた。何となく勉強が嫌いではない、高校受験も大学受験も、さほど苦労はなかった。勉強の中で何が得意かと考えたら数字だった。何となく中学校の数学の先生になりたいと思って、大学に通っていた。


しかし、考えは甘かった。数学の点数が上がらない、こんなに苦労すると思ってなかった。初めて挫折したのです。逃げてると思われても仕方ないけど、このまま教員を目指す気にはなれない、と言うのです。


私は頭から反対しても仕方ないと思い、黙って長男の言い分を聞きました。そして、長男の言葉は続きます。


大学3年の頃から、教員になる事を辞めようと思い始めたら、成績も維持するのが難しく、単位も足りなくなってきた。留年は免れないと感じ始めたが、うちは母子家庭。下にはまだ弟が2人いる。自分が大学行かせてもらうのも、お母さんが相当無理してるのはわかってる。だから、留年はせずに中退すると言うのです。


長男は、子供の頃から反抗期もほとんどなく、3人兄弟の長男として、弟達の面倒もよく見てくれて、私の事も支えてくれた。その長男が初めて挫折して、その思いを私にぶつけてきた。私はしばらく考えて、冷静に長男を説得しました。


つづく。

3兄弟編⑥長男の大学生活

お久しぶりの投稿になってしまいました。

前回の続きです。


地元の国立大学に合格した長男は、教育学部だったので、1回生、2回生と順調に進んでいき、私は当然このまま、教員免許を取得する為にまっしぐらだと思っていました。


長男は、高校3年の時、担任だった先生が、数学の先生で若かった事もあり、憧れでもあり目標にしていました。なので、大学受験の時は、中学校の数学の先生になりたいと言って、何の迷いもなくそっちの勉強に励んでいました。子供も好きだったので、サークルも子供と関われるサークルに入り、土日はほとんど小学生とゲームをしたり、キャンプをしたりと、積極的に行事に参加していました。


経済的な事を言えば、さすがに私の収入と奨学金では足りず、長男も居酒屋でバイトをしていました。地元の大学と言っても、我が家から車で片道1時間の所にあったので、車の免許もない長男はアパートで一人暮らしをしていました。


というのも、大学の入学金やら何やらで出費が多く、自動車学校に通わせるお金がありませんでした。それでも大学生のうちに免許は取らないといけないと思い、その後、授業料が半額免除になった時、貯めておいて翌年には取得しました。


この後、4回生まで順調に進んでいると思っていましたが、長男の中では少しずつ気持ちの変化があったようです。


つづく。