さくらのシングル子育て

子供達が小学生の時に離婚して、何とか3人の息子達を社会人になるまで育ててきました。これまで色々ありましたが、ここまで一人で何とかやって来れたのは、周りの人や3人の息子達に助けてもらったおかげだと感謝してます(*^^*)そんなこんなをブログで綴っていけたらと思います♪

3兄弟編②次男が斜視

前回のつづき。


長男がてんかんだと診断された頃、次男の3歳児検診がありました。2歳頃から何となく目つきが気にはなってたけれど、視力は良かったし病院へ行く程の事ではないと思っていました。しかし3歳児検診の時、黒目が左右違うと指摘され、眼科受診を勧められました。


眼科へ行くと外斜視だと言われました。視力には特に問題はなさそうだけど、大きくなるにつれて斜視がひどくなるかもしれないから、子供のうちに手術をした方がいいと言われました。ただ今すぐにする必要はなく、5歳ぐらいになってからでいいとの事でした。


それから大きな病院を紹介され、定期的に検査しながら手術の時を待ちました。長男に続いて次男まで、とも思いましたが、これは仕方がないと自分に言い聞かせました。


そして幼稚園の年長の夏休みに手術をする事が決まり、予定通り手術の日が来ました。病室のベッドから、囲いのある小さなベッドに移され、枕元に小さなぬいぐるみを置きました。改めてこんな小さな子の目にメスが入るなんてと、可哀想な気がしましたが、私がそんな弱気ではいけないと思い、耐えました。


手術の予定時間は2時間と言われていて、病室で待つようにと言われましたが、3時間過ぎても戻って来ません。心配で仕方なかったけど、先生を信じて待つしかありません。そして、3時間半経った頃にようやく戻って来ました。何でも麻酔から覚めるのが遅かったんだとか。


でも手術は無事に終わり成功したと聞いてホッとしました。術後は透明の眼帯をしていたので、普通に歩けました。術後の経過も良好で予定通り退院しました。


ただ、斜視は完璧に左右がピッタリ揃うものではないらしく、若干のズレはあります。なので、その後も半年に一回は受診をし、ズレが大きくなっていないか診てもらいました。


視力も両目で見るには問題ないのですが、手術をした方の視力は弱いという事で、メガネをかけるようにと言われました。しかし、次男はメガネを作ってもほとんどかける事はありませんでした。


病院の先生からも、メガネをかけないと左右の視力のバランスが取れないし、斜視がまた少しずつずれてくるよと言われましたが、私は毎度も先生に「わかりました。言って聞かせます」と返事はするものの、次男は「だってメガネが無くても両目で見たら見えるもん」と言って言う事を聞きませんでした。


病院の受診は、次男が高校を卒業するまで続きました。その頃になると、先生も次男がメガネをかけてない事もわかってるし、次男も悪びれた様子もないので、お互いに苦笑して診察は終わりました。


その後、県外の大学に行った次男は、3回生の時、車の免許を取りに行きました。そこで、今まで意識してなかった斜視が、改めて免許取得が困難だという事がわかりました。さすがにその時はメガネをかけていましたが、普通の人より空間認識能力が衰えているため、視点が合いにくくS字、クランク、車庫入れなど苦労したようです。


それでも何とか免許は取れたんですが、都会にいる事もあり、運転する機会は今のところありません。でも、来年の春から社会人なので、車を運転する時は充分気を付けて欲しいです。


つづく。

3兄弟編①長男の病気

前回のつづき。


長男は3人の中で一番熱を出しやすい子でした。風邪をひくと高熱が出て食欲がなくなり、病院へ行くとだいたい点滴をしないとなかなか回復しませんでした。


幼稚園に通っていた頃、また熱が出て幼稚園を休みました。高熱ではなかったけれど、その時はいつもと違う症状が現れました。昼間寝ていて、急にしゃっくりのような音が聞こえてきました。長男の顔をのぞきこむと、ヒックヒックと言いながら目線が合わず、天井の方を見つめています。長男の名前を呼んでも反応がなく、しばらくすると目が合い、いつもの長男に戻りました。


さっきのはいったいなんだろうと思いながらも、特に気にしていませんでした。熱性けいれんなら、もっと激しく明らかにけいれんを起こしていると、素人でもわかるはず。でも長男の場合何かちょっと違う。


2,3日たつと体調も戻りいつもと変わらず元気です。しかし、その後風邪をひくとまたヒックヒックと言って目が天井を向く事がありまさした。3回目の時、大きな病院へ連れて行き診てもらいました。すると脳波をとられ、結果を聞きに行くと、先生から「お子さんは脳の病気です」と言われました。


えっ何?うちの子が?まさか。こんなに元気なのに?脳の病気って一体何?と一瞬で色んな事が頭に浮かびました。


先生から詳しく聞くと「てんかん」と言われました。私の中でてんかんというと、普通に生活していても、ある時突然ひっくり返ってしまうという症状じゃないの?と思ってたので、長男の症状と違うと思いました。でも先生が言うには、てんかんは様々な原因があり、症状も様々だと。長男の場合、普段の生活では何も起こらない(かもしれない)けど、体調の悪い時に発作を起こしやすいと。


熱性けいれんと違うのは、高熱でもないのに意識消失があり、けいれんを起こしたという事。それと脳波に異常があるという事。この二つからてんかんと診断されました。治療方法としては、内服薬で発作を押さえて、定期的に脳波の検査をするというものでした。


その時私は初めての子育てで、病気を持った長男をちゃんと育てられるんだろうかと、一気に不安になりました。しかも次男は3歳、三男は1歳で、この先一人で育てて行けるんだろうかと、とにかく不安しかなかった。


つづく。

離婚編⑩養育費

前回のつづき。


元旦那と別居してから2年、元旦那が自ら離婚届を書く時をじっと耐えて待ちました。


その間、母子手当ももらえず、生活は決して楽ではなかったけど、幸い三男も幼稚園を卒園して、三人共小学生になっていたので、何とか出費をおさえる事ができました。


元旦那は働いていないので、養育費は支払えないのはわかってましたが、離婚前に義父母にお願いして、多少の援助をしてもらいました。お金の話はしにくいものですが、今回の離婚に至った原因は元旦那にあり、そこは義父母もよくわかっていました。


義父母にとって元旦那は、あまりにも甘やかして育てた結果とも言えました。大人になりきれない元旦那は、結婚しても子供ができても、中身は子供のまま。子供は私や義父母に任せっきりで、給料は半分しか出さず、借金もしていた人です。お酒を飲んで夫婦喧嘩になり、義父母も巻き込んで、借金を残したまま、しまいには無職となり。義父母は私に何度も頭を下げました。


義父母と私はいい関係を保っていたので、最後まで私の味方でいてくれました。本当は私もあの家に残って、義父母の老後も見るつもりでしたが、何より3人の息子達を育てる事が最優先でした。


離婚してからも、私は実家にも頼らず、私一人の収入で何とかやると決めていました。ただ実家の母姉兄から、養育費はもらわないといけないと説得され、兄に来てもらい、義父母と話し合いをしました。義父母は、たくさんは出せないけど、できる事はしたいと言ってくれました。そこで、子供一人につき3万ずつ払うと約束してくれました。


実家は私に、口約束ではダメだから、公正証書を作るようにと言い、公証人役場へ相談に行きました。しかし、養育費は元々父親が払うもので、祖父が払うとなるとちょっとややこしいみたいでした。それでも、祖父が公証人役場に出向いて署名すれば成立するというものでした。しかし、その事を義父母に話すと、それは書かないと言いました。あまりしつこく言うと、お金を出してもらえなくなってもいけないと思い、正式な書面は諦めました。ただ義父母は、書面は書かないけれど、絶対に約束すると言ってくれました。


最終的に決まったのは、三男が20歳になるまで、30,000円×3人分の計90,000円は、3ヶ月に一回のペースで現金で払うという事になりました。あれから13年、来年の1月で三男が20歳になりますが、義父母は約束を守ってくれています。ただ私の計画では、3人の息子は全員高校を卒業したら、就職すると思っていたのですが、長男と次男は大学へ、三男は専門学校へそれぞれ進学したので、当然私の収入と義父母からの援助でも足りませんでした。


でもあの時、実家の母姉兄が、義父母からの援助をすすめてくれなかったら、息子達は一人も進学出来なかったでしょう。そう考えると本当に感謝です。


つづく。