さくらのシングル子育て

子供達が小学生の時に離婚して、何とか3人の息子達を社会人になるまで育ててきました。これまで色々ありましたが、ここまで一人で何とかやって来れたのは、周りの人や3人の息子達に助けてもらったおかげだと感謝してます(*^^*)そんなこんなをブログで綴っていけたらと思います♪

離婚編⑨完全別居

前回のつづき。


離れの1階と2階で家庭内別居をしてた私は、当然元旦那と顔を合わせる事が少なくなりました。ストレスは多少軽減して、元旦那抜きで子供達と過ごす時間は本当に楽しかった。


子供達は、時々1階にいる元旦那の所に行くんだけど、元旦那は自分の体調次第で、相手にしたりしなかったり。元旦那の部屋に行って、来るなと言われれるとやっぱり寂しかったでしょうね。


三男が幼稚園に行く頃、私はすでに家を出る事を考えていました。元旦那は良くなる事はなく、いつ仕事を辞めるかわからない状況でした。それでも退職せず、休職にしておけば給料の6割は出るから、生活も何とかなると思っていました。


しかし元旦那は、仕事を辞めないと病気は治らないと言って、勝手に退職届を出してしまいました。その頃になると、私に対しても離婚したいと言うようになりました。離婚しなければ病気は治らないと言っていました。


ただ厄介なのが、日によって真逆の事を言う事でした。私がいなければ生きていけないとか、離婚したら自殺すると言う事もあるのです。自分を責めて自殺すると言ったり、全て私が悪いと責めて「出て行け」と言ったり、それにずいぶん振り回されました。


結局仕事を辞めた元旦那と子供達を養っていかなければならなくなり、どう考えても私一人の給料ではやっていけません。そこで、私は義父母に元旦那の事はお願いして、子供達を連れて家を出る事にしました。


そこで、すんなり離婚になるのかと思ってたら、またまた元旦那の奇妙な行動が。離婚届を書かないと言い出し、私達の住むアパートの周りをうろつき、再びストーカー行為が始まりました。


アパートの玄関ドアに貼り紙をされたり、子供達の通う小学校に現れたりしました。小学校の先生からは、お父さんが子供さんの面会を求めて来られたら、どのように対処しましょうかと聞かれたので、断るようにとお願いしていました。


私は元旦那のストーカー行為がエスカレートしないように、休みの時は義父に子供達を迎えに来てもらい、元旦那に会わせていました。なので、それ以外に学校まで来て会わせろというのは許しませんでした。


私は元旦那がアパートの周りをウロウロしたり、貼り紙をすると本当に怖くて、一度警察に相談した事もありました。警察の方は一応話は聞いてくれたのですが、何か事件が起こった訳ではないので、接近禁止命令とかも出せないみたいで、私は毎日怯えていました。何かあってからでは遅いのにと、よく思いました。


私達が家を出てからしばらくして、ようやく元旦那が離婚に応じると言った事がありました。しかし、元旦那は自分は体調が悪くて書けないから、勝手に書いて出してくれと言うのです。元旦那の言うとおり、離婚届を書いて役所に持って行ったら、元旦那の直筆じゃないので、受け付けてもらえませんでした。その上、元旦那が私が役所に行く前に「離婚不受理届」を出しに行ってたらしく、その事もわかり、とにかく離婚が成立しませんでした。元旦那がまともじゃないから、納得しないと離婚届は出せないと思い、さすがに私もお先真っ暗だと落ち込みました。


つづく。

離婚編⑧家庭内別居

前回のつづき。


三男が産まれる頃、長男は保育園から幼稚園に通うようになりました。次男は保育園に行き、三男は義父母が家で見てくれてました。今思い出したけど、三男が産まれた時はまだ仕事を辞めてなくて、産まれてから少しだけ産休をとって復帰しました。


元旦那はというと、相変わらず給料は14万のみで、何とかやりくりしていました。長男が幼稚園に通う頃は、夫婦の仲はあまり良くなかったので、喧嘩というより冷めた関係でした。原因はだいたいお金の事から始まって、子供の事、元旦那の束縛と様々でした。


その中でも私に対する束縛は、子供が産まれてから、私に専業主婦になって欲しいという思いがエスカレートし、ストーカーに近い事もありました。元旦那が休みで私が仕事の時は、暇さえあれば電話がかかってくるし、会社の飲み会は全て断るようにと言うし、私の服装に関しても、派手な色の服はダメ、胸元の開いた服はダメと、とにかく注文が多かった。


それは人に話すと愛されてる証拠と言って、あまり相手にされなかったんだけど、当時はストーカー規正法もまだなかったか、それほど取り上げられる時代ではなかったから、一人で悩んでいました。愛されているというより、私は元旦那の私物であって、一人の人間として見られてなかったと思ってます。


そのくせ、3人の子供の父親としての自覚もなく、ある時私に自分も子供の一人として扱ってくれと言われた事がありました。つまり4人の息子がいるつもりで生活しろと。なので、私が一人で出掛ける時は自分を頼るなというんです。買い物も一緒に行かず、子供と私が出掛けると店に先回りしてる事もあり、まさにストーカー。かと言って一緒に買い物するわけではなく、私の居場所を確認したら帰るという何とも奇妙な行動でした。


その頃から、元旦那は時々体の不調を訴え、仕事を休んだり仕事帰りに迎えに来てくれと電話があったりしました。家に帰ると普通に戻るという不思議な症状でした。それがだんだんひどくなり、ある時県外に出張に行くのに、電車を使ったら気分が悪くなり、途中下車して迎えに行った事があります。そういう事がだんだん増えて来て、とうとう公共交通機関は使えなくなりました。


それでも時々休みながらも、仕事は続けていました。仕事に行っても早退したり、ひどい時は通勤の途中で個人病院に寄り、そこから先生に頼んで救急車を呼んでもらった事もあります。先生の診断は特に異常なし。当然救急搬送先でも、異常は見つからずそのまま薬もなしで家に帰されました。完全に精神的なものです。いくら病院で異常なしと言われても、元旦那自信は苦しくて死にそうだと訴えるのです。家に帰るとまた元に戻り、何事もなかったように暮らします。精神科にかかりカウンセリングを受けたり、入院もしましたが、なかなか良くなりませんでした。ひどい時は自殺願望があったり、逆に私に対して攻撃的になる事もあり、どう対応していいのか分かりませんでした。その頃から元旦那が離婚を口にするようになりました。私も離婚は考えていたんですが、時期を慎重に考えないといけないと思っていました。


何より元旦那の問題が多過ぎて、私は子育てに専念出来なくなっていきました。もちろん、子供達に影響ないように、子供達の前では笑顔で子育ても家事も仕事もこなしました。しかし、元旦那との関係はどんどん悪くなり、私も精神的に疲れてきました。そしてとうとう、子供達の前でも笑顔が出せなくなってきました。子供達はまだ小さいので気が付いてなかったと思うけど、私の中でこれ以上無理をしたら、私も子供達もダメになると感じました。


そして、元旦那の「出て行け」という言葉をきっかけに、家庭内別居をする事になりました。元々2階建ての離れに住んでいたので、離れの1階で4人で暮らしてたのを、私と子供達は2階で暮らすようになりました。


つづく。

離婚編⑦元旦那の借金

前回のつづき。


長男が4歳次男が2歳の頃、元旦那は相変わらず、自分中心の生活をしていました。


それでも、私は義父母が孫の面倒を見てくれるし、義父母と私の関係は悪くはなかったので、このまま義父母に協力してもらいながら、何とか子育てして行けそうな気がしていました。


そして三男を妊娠し、私は仕事を続けていましたが、パートという事もあり、産休を取る事もできず仕事は辞めました。金銭的には、義父母と同居していたおかげで、何とか生活ができる状態でしたが、余裕はありませんでした。


元旦那の理解しがたい面は、金銭面でもありました。元旦那は目に見えて派手にお金を使うタイプではなかったけれど、何故か給料明細を見せる事を拒んでいました。私には必要な生活費を渡すだけで、あとは自由に使っているようでした。その生活費というのが、結婚した当時に決めた金額、当時14万円を元旦那が出していました。


それは長男が産まれても、次男が産まれても、三男が産まれても変わる事はなく、保園代5万円は私のパート代で払っていました。


それまで、私が何とか家計をやりくりしていたので、元旦那が残りの給料を何に使っているのか、問い詰めた事はありませんでしたが、給料の約半分は元旦那の手元にあるんだから、多少の貯蓄はあるだろうと思っていました。


ところが驚いた事に、三男を出産していよいよ退院の日が決まった時に、突然出産費用が払えないと言い出したのです。そして、病院に出産費用を後払いにしてもらえないか、交渉してくれと言うのです。信じられません。病院にそんな事は通用しないと思ったので、私は義父母にでも借りたらどうかと言いましたが、元旦那は義父母には言いたくないと言います。そして、私にクレジットでキャッシングをしてくれと言うんです。


どっちにしても、決められた日に退院しないといけないし、出産費用も払わないといけないので、私のカードでキャッシングをしました。元旦那に、出産費用はあとから返ってくるからすぐ返すと言ったので、渋々元旦那の言うとおりにしました。


その頃から、元旦那への不信感が出てきて、給料をいったい何に使っているのか、どうしてそんなにお金がないのか問い詰めましたが、元旦那から私の納得のいく答えは返ってきませんでした。


ただ私なりに気が付いたのは、そもそも結婚する前、元旦那と食事に行ったり、旅行に行った時、支払いを現金ではなくカードでしていた事。当時は、元旦那は公務員なんだし、ボーナスもあるから、カードで払ってもボーナス払いとかにすれば、大丈夫なのかなぁなんて思っていました。


しかし、今考えてみれば、30歳にもなって元旦那は自分の車のローンを義父の名義で組んでいたので、それにもちょっとおかしいと思ってました。


もう一つ、私達が結婚した時の結婚式や新婚旅行にかかった費用。当時私も貯金はなく、元旦那が出してくれると言ったので、甘えていましたが、その費用は元旦那が職場で、結婚貸付というのを申し込んでいたらしく、それも借金していたというのがわかりました。


そうして次々と借金の事実が明らかになってきましたが、子供が3人もいるし、元旦那も父親としてこれからも、子供達の為に真面目に働いてくれれば、何とかやっていけるだろうと思ってました。それに、ギャンブルで使ったとかいう借金ではないし、結婚貸付に関しては、私達二人の借金になるから、それを返済しないといけないんなら、生活費も少ないのは我慢しようと思いました。


つづく。