さくらのシングル子育て

子供達が小学生の時に離婚して、何とか3人の息子達を社会人になるまで育ててきました。これまで色々ありましたが、ここまで一人で何とかやって来れたのは、周りの人や3人の息子達に助けてもらったおかげだと感謝してます(*^^*)そんなこんなをブログで綴っていけたらと思います♪

離婚編⑧家庭内別居

前回のつづき。


三男が産まれる頃、長男は保育園から幼稚園に通うようになりました。次男は保育園に行き、三男は義父母が家で見てくれてました。今思い出したけど、三男が産まれた時はまだ仕事を辞めてなくて、産まれてから少しだけ産休をとって復帰しました。


元旦那はというと、相変わらず給料は14万のみで、何とかやりくりしていました。長男が幼稚園に通う頃は、夫婦の仲はあまり良くなかったので、喧嘩というより冷めた関係でした。原因はだいたいお金の事から始まって、子供の事、元旦那の束縛と様々でした。


その中でも私に対する束縛は、子供が産まれてから、私に専業主婦になって欲しいという思いがエスカレートし、ストーカーに近い事もありました。元旦那が休みで私が仕事の時は、暇さえあれば電話がかかってくるし、会社の飲み会は全て断るようにと言うし、私の服装に関しても、派手な色の服はダメ、胸元の開いた服はダメと、とにかく注文が多かった。


それは人に話すと愛されてる証拠と言って、あまり相手にされなかったんだけど、当時はストーカー規正法もまだなかったか、それほど取り上げられる時代ではなかったから、一人で悩んでいました。愛されているというより、私は元旦那の私物であって、一人の人間として見られてなかったと思ってます。


そのくせ、3人の子供の父親としての自覚もなく、ある時私に自分も子供の一人として扱ってくれと言われた事がありました。つまり4人の息子がいるつもりで生活しろと。なので、私が一人で出掛ける時は自分を頼るなというんです。買い物も一緒に行かず、子供と私が出掛けると店に先回りしてる事もあり、まさにストーカー。かと言って一緒に買い物するわけではなく、私の居場所を確認したら帰るという何とも奇妙な行動でした。


その頃から、元旦那は時々体の不調を訴え、仕事を休んだり仕事帰りに迎えに来てくれと電話があったりしました。家に帰ると普通に戻るという不思議な症状でした。それがだんだんひどくなり、ある時県外に出張に行くのに、電車を使ったら気分が悪くなり、途中下車して迎えに行った事があります。そういう事がだんだん増えて来て、とうとう公共交通機関は使えなくなりました。


それでも時々休みながらも、仕事は続けていました。仕事に行っても早退したり、ひどい時は通勤の途中で個人病院に寄り、そこから先生に頼んで救急車を呼んでもらった事もあります。先生の診断は特に異常なし。当然救急搬送先でも、異常は見つからずそのまま薬もなしで家に帰されました。完全に精神的なものです。いくら病院で異常なしと言われても、元旦那自信は苦しくて死にそうだと訴えるのです。家に帰るとまた元に戻り、何事もなかったように暮らします。精神科にかかりカウンセリングを受けたり、入院もしましたが、なかなか良くなりませんでした。ひどい時は自殺願望があったり、逆に私に対して攻撃的になる事もあり、どう対応していいのか分かりませんでした。その頃から元旦那が離婚を口にするようになりました。私も離婚は考えていたんですが、時期を慎重に考えないといけないと思っていました。


何より元旦那の問題が多過ぎて、私は子育てに専念出来なくなっていきました。もちろん、子供達に影響ないように、子供達の前では笑顔で子育ても家事も仕事もこなしました。しかし、元旦那との関係はどんどん悪くなり、私も精神的に疲れてきました。そしてとうとう、子供達の前でも笑顔が出せなくなってきました。子供達はまだ小さいので気が付いてなかったと思うけど、私の中でこれ以上無理をしたら、私も子供達もダメになると感じました。


そして、元旦那の「出て行け」という言葉をきっかけに、家庭内別居をする事になりました。元々2階建ての離れに住んでいたので、離れの1階で4人で暮らしてたのを、私と子供達は2階で暮らすようになりました。


つづく。

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